『主イエスによって示された神の愛』:ローマの信徒への手紙 8章31−39節

「終わった・・・。」と、人間が終止符を打つような出来事を神は句読点とされる。神のご計画の中では、人間の宣告するピリオドは、大いなるカンマ(区切り)に過ぎない。絶望や挫折、そこから新しく展開する道、神が一切のことを良い方向に仕上げてくださる希望が存在するのだ。「神を愛する者たちつまり(神の)計画に従って召された者たちのためには、一切が良い方向へと働く、ということを我々は知っている」(ローマ8:28田川訳)。その根拠はキリスト・イエスにおいて示されたお神の愛にある。「彼はもう終わった・・」と、神と人から見捨てられる結末に思えたイエスの十字架。だが神は、イエスを復活させ、死という命の終焉を復活の初めとされた。常識では信じられない。だからこそ信じるべき希望が差し出されている。コロナ危機にあってわれらは変化を余儀なくされた。今までの常識が通じず、発想も根本からの転換が求められる時代に置かれている。しかしそこでもわれらは、すべてが最悪に向かう道に招かれているのではなく、この方によって示された神の愛、一切が良い方向へ働く道に招かれている。たとえ、人と人が離されるこの時にあっても、神の愛からは離されない。「もはや、死も、命も、現在のものも、未来のものも、力あるものも、 高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできない。」(ローマ8:39)この確信は、更新されて行く。(2021.4.4)