本書の執筆時代はローマ皇帝ネロによるキリスト者迫害の背景を否めない。キリストの名で呼ばれる者は、大きな権力の下で命を小さくされ、世の中から排除される対象でもあった。その小さき者を躓かせるような者に対する手厳しい比喩(42節)は、逆説的にキリスト者への最大限の評価とも言えよう。「地獄」と訳されている原語(43節)は「ゲヘナ」。エルサレム南方にあったゴミ処理場の谷を指し、そこでは火が消えず、犯罪者等の遺体も焼却され悪臭を放っていた。人々はここを神の裁きの場所と考えるようになる。「蛆(ウジ)」(48節)は一般に忌み嫌われる対象で最低の評価を受ける事があるが、歴とした生命である。現代では壊死した皮膚組織を治療するマゴットセラピーや食糧危機からの救世主として研究対象となっている。世の中では強い者が弱い者を虐げ、大きな者が小さい者の命を排除しようとする現実がある。しかし、権力の座で驕る者たちは自分たちが邪魔に思う存在を完全に排除できない。彼らが忌み嫌う小さな命と絶えず共生する事になる。さらに「消えぬ火」は、ここでは塩付けにされる目的があって防腐の役割を果たす。火も蛆も神の裁きの象徴であると同時に、腐敗を浄化する神の救いを示すものではないか。この記事におけるイエスの結語は「互いに平和に過ごせ」(49節)である。これまでキリストの名を巡って敵や味方(40節)、弟子たちは誰がいちばん大きい者か(34節)が問われるが、彼のもとではもはや敵も味方もなくノーサイド。イエスはわれらに恐怖を与えて脅すのでもなく、敵や罪人退治の話をしているのでもない。彼は共に生かされる道を示し、互いの断絶をもたらす壁を焼き払われるのだ。神は善人にも悪人にも雨を降らすお方というが、ここでも矛盾はない。どんな被造世界も、キリスト・イエスにおいて示された神の愛からわれらを引き離すものはない。(2021.5.2)