『権威トレンドからの自由』:マルコによる福音書11章27−33節

8月は平和月間。戦時下においては、プロパガンダなど情報が操作されたり、権力者の言いなりになる傾向が顕著になる。「権威トレンド」とは林修氏の造語。人は聞く前から内容よりも「誰が」言っているかで聞く態度が異なるという。人は権威に弱く、トレンドなど時代の趨勢や傾向に影響されながら生きている。悪しき「権威性」に支配されるときは、道徳や正しさよりも権威を主張する者の言葉に「NO」が言えなくなる事態が起り得る。人類は、過ちだと知りつつ権威に抗えず、人を殺す道具として支配され、他者の生きる権利を奪い、自らの命も奪われて行くような歴史を負っている。生きる自由、権利を奪われてはならない・・・。

ここに登場する祭司長や律法学者そして長老たち。彼らは影響力のあるイエスの行動に際して権威の所在を問うが、逆に問い返される。そこに明らかになったのは、当時の権力者たちは普段から「天から」の権威を振りかざして地上で威張っていても、実際は群衆を怖がっている(32)こと。権力者の自己保身性により権威は逆転し、彼らが普段から評価しない群衆からの支持やトレンドが権威となっているという逆説。福音記者の示す権力者批判とも読める。イエスもバプスマのヨハネも人の顔色や時代のトレンドを恐れるのでもなく、自らの使命に確信をもって堂々と生きた。そこに権威がある。主イエスは出会う人自身の苦しみや悲しみを引き受けられる行為をもって権威をあらわされた。彼はわれらひとり一人存在そのものを重んじ、生きる権利と自由に導かれる。どのような者であろうと、周囲からどう見られようと、自分自身の存在を正々堂々と、自由に胸を張って生きる権利が天から与えられているのだ。その権利は自分に、同時に他者にもある。