『神に信頼して生きる』:マルコによる福音書12章38−44

神殿の賽銭箱は当時ラッパのような形状で、金銭を投じるとその硬貨の重さに応じて音が鳴った。富裕者らが多額の銀貨を賽銭箱に投じる行為は、とりわけ周囲の目をひいたことであろう。そこにこの時代流通していた最低貨幣よりもさらに額の低いレプタ銅貨2枚(小銭2枚)を投じたやもめがいた。誰の目にも止まらず、誰の心にも響かないようなささげものである。けれどもイエスには彼女の行為が心に響いていた。彼は弟子たちを呼び寄せて言われる。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。 皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである」(43-44節)人々から尊敬を受けていた律法学者や富裕層のエリートは、いつしか神からの評価よりも、人からの評価に傾倒してしまいその行為が偽善的になっていたのであろう。神の御前では人に尊ばれることが恥とされ、人前では目立たず小さなものが大きく、弱さの中にあること強くされるような逆説が起こる。このやもめにとっては、人の評価に左右されずただ神への信頼に生きる姿がある。明日や将来のことは当然として、何よりも今日生かされている感謝。自分自身をすべて委ねて託すかのような神の恵みに対する応答がある。絶えず変容する世の中の基準や人の評価よりも、望みを神に抱いて神の目に敵う歩みこそがいつまでも確かなものとなる。(2021.9.12)