『目を覚ましていなさい』:マルコによる福音書13章32−38節

2021年のノーベル物理学賞に真鍋淑郎氏が受賞。気象変動の予測に貢献された。片や10年前「タミ宣教会」のイ氏は他の数名の自称予言者と共に「世界が終わる日を予測・断言し、数学的仮定を立てる際には気をつけたほうがよい、と世界にしらしめた」としてパロディー版のイグノーベル賞を受賞した。いつの時代も世の終焉を巡って日時指定をする輩が出現するがこれまでピタリと実現した例はない。主イエスさえも「知らない」ものを誰が知り得よう。今後も同様に世の終焉の日付を予測する者は偽予言者と言って良いであろう。惑わされてはならない。かつて宗教改革者ルターは「明日世界が終わるとしても、わたしは今日、リンゴの木を植える」と言った。宗教改革前後の時代にはペストが世界を蔓延し、終末観念が強かったことを考慮すると上記の言葉は今も意義深く心に留められる。マルコ13章はいつ終末が来るか好奇心もあいまって兆候を訪ねる問いに対して、主イエスは繰り返し「目を覚ましていない」と呼びかけることによって言葉を結ばれる。「世の終わり」と騒ぎ立てる風潮に対して慌てたり、自暴自棄になるのではなく、落ち着いて誠実に自分のなすべき責任を果たす事。決して明日を過信せずに今日という日を精一杯生き、次の世代に希望をつないでいく。それが目覚めた生き方なのではないか。人類の終焉が到来する前に多くの者は自分の命の終末を迎える。人間はいつ死ぬかわからない。だからこそ、眠るような惰性や無関心でいるのではなく、起きて命に目覚めていたい、そう思う。人間には明日はわからないという緊張と、今日も変わらず世の終わりまで神は共にいて、眠ることもまどろむこともなく見守ってくださるという安心感。その狭間で生かされるのが健全な生き方なのかも知れない・・。(2021.10.10)

2021.10.10 講壇生花 By Ishim