『私、失敗しますので』マルコによる福音書14章27−31節

「ドクターX」という女医のドラマでの決め台詞「私、失敗しないので」。しかし残念なことに現実には存在しない。聖書の物語は実に現実的である。人間の「失敗物語」が赤裸々に暴露されているからだ。同時に、そのような人間を見限らず、救おうとされる神の存在が語られる。弟子たちは本心からイエスを裏切ることはない、自分は失敗しない、と意思を固くした事であろう。その弟子に対して、イエスは「そのあなたが私を知らないと言うのだ」と念を押される。その言葉は現実となった。われらは人間の意思が実際はいかに弱く脆いか、自分はだいじょうぶだという過信がいかに傲慢であるかを知らされる。けれども、そこでこそ救いと恵みに出会う。「力は弱さにおいて完成する。・・・キリストのために喜ぼう。弱い時に、私は力があるからだ」(Ⅱコリント12:9-10新約聖書本文の訳)人間の強さの中には神の働く余地は閉ざされる。神にとって不可能はなく、失敗しないのだから完全に任せ切ることができる。失敗は弱さのあらわれである。われらは弱さを認めたくない。自分はやれる、と思いたい。でも、できないときこそ、本当の力が発揮されるときなのだ。神がわれらに求められているのは、強さでも意地でもない。信頼なのである。それを知るために、徹底的に弱さの中に置かれることがあるのだ。(2021.11.7)