『ゲッセマネでの祈り』マルコによる福音書14章32−42

アラム語で「油絞り」を意味するゲッセマネの園。オリーブの木々が生えており、今も樹齢2000年の樹があるという。現在は修道院が建っているがコロナ前は世界中から多くの人々が訪れていた。この場所で主イエスはその死の前夜、精神が押し潰されそうなほどに酷く苦しまれた。あたかもオリーブを圧縮するかのように苦悩の祈りを絞り出される。「アッバ(父よ)、あなたは何でもお出来になります。この杯を私から取りのけてください」彼はご自身がこれから受ける苦難の杯を前にそう祈られた。主イエスは弟子の裏切りによって間もなく捕縛される。その先には耐え難い暴行と侮辱が待ち受けている。鞭打ちによる虐待、十字架という極刑。それは筆舌に尽くし難い苦しみなのである。しかしゲッセマネでの祈りは後半がある。「しかし私の願うことではなく、御心に適うことが行われますように」前半は主イエスの願い、後半は神への信頼である。前半と後半の間には相当な葛藤、神の意志と自分の願いとのせめぎ合いがあったことであろう。だが、最終的には「信頼」という純粋な油が絞り出されるのだ。そしてそこにわれらが救われる血路が開かれたのだ。キリスト信仰における神の招き、それは自分の願いだけではなく、それと共に「自分は何をすべきなのか?」神からの使命が問われる。神のご意志のうちにこそ自分にとっても、周りにとっても最善の道が備えられている。その信頼に招かれているのだ。(2021.11.21)