『匿名の愛』マタイによる福音書1章23節

サンタクロースからの贈り物が喜ばしいのはその匿名性にある。贈り主が誰であるか正体は明かされない。本人が気付かぬよう子ども達に笑顔を届ける。「良い子にしてないとサンタは来ないよ」という言葉は本来のクリスマスメッセージではない。なぜなら愛は、無償であり見返りを求めないからだ(Ⅰコリント13章5節)。インマヌエルという名も匿名性を有している。「神は共におられる」というが、その正体は隠されているからだ。神は不可視的であってわれらの肉眼では見る事ができず、触れることもできない。ゆえに、共にいたとしても決して気付かない。もし、神顕現が日常的に可視化され、絶えず意識されるならば、果たして誰が耐え得るだろうか?逃げ隠れは不可能。空間的にも思考回路にもすべてにリアルで圧倒的な神の存在の中で生きるのだ。だが、実際のところは不明である。しかし神はわれら共におられるという。信じようが疑おうが変わらない。われらがどんなに神を無視し、拒否しても、神がわれらを拒むことはなく傍におられるのだ。たとえ人間がどんな行為に及んだとしても、神はわれらの命が無条件に生きることを望み、善意と限りない愛をもって共におられるのだ。匿名の愛とはわれらの気付かない所で、われらの知らない所で完全に実現している寄り添いである。神はご自身を隠し、われらを恐れさせない。ただ愛するために共におられる。神の愛の匿名性、その目的はわれら一人ひとりに無条件に届いている愛を受け取り、喜ぶことにあるのだ。(2021.12.19)

 

2021.12.19(日)講壇花 by Yoshiko