『光あれ。混沌からの希望』創世記1章1−3節 —東日本大震災から11年を数える礼拝—

創世記1章は、亡国の悲劇に絶望したユダヤの民に対する慰めと励ましのメッセージとして読まれた。「混沌」と訳された言葉は、都が瓦礫と化し、大地が荒廃する極めて現実的な悲惨さを表すと言われる。自分たちの暮らしが「形なく、虚しく」なった人々。無意味さと虚しさが生きる気力、喜びを奪い、深い闇の渦へと希望を呑み込んでいく。しかし、神は言われる。「光あれ」。こうして「光」が生じ、混沌から秩序がもたらされ、神の創造のわざがすべての命を育んでいった(1章)。それが苦難を経験した民に届く唯一の希望となったのだ。神の言葉には圧倒的な力と権威がある。神が言われると必ずその通りの出来事が生(な)る。東日本大震災から11年。原子力緊急事態宣言は未だに解除されていない。コロナ感染症は事態を深刻化させ、戦争はわれらを更なる暗闇に巻き込もうと希望を一層虚しくする。しかし、そこにも神の「光あれ」との言葉は響きわたる。混沌の地、暗闇の支配する深淵にあっても届く圧倒的な命の光、その光に照らされる時、われらには生きる望みが与えられる。「光あれ」とは、神の力強い命への肯定である。見える現実がどうであれ、神の言葉だけが唯一、確かな希望なのである。(2022.3.6))

2022/3/6(日)主日礼拝講壇生花 by YOSHIKO