『われらの抱く希望』:ペトロの手紙第一3章15−16b節

今年は三浦綾子生誕100周年となる。彼女は教員時代、軍国主義教育に熱心であったが敗戦後、教科書の黒塗り作業に虚無感を抱き教壇を去った。24歳の時、結婚を目前に肺結核を発症し婚約は解消。生きる意義を見出せず自暴自棄になって入水自殺を試みるが叶わず、更に脊椎カリエスを併発し絶対安静、絶望の日々となる。その頃、幼なじみの前川を通してキリスト信仰が与えられた。以降彼女は神の愛に希望を抱き、伝道目的で執筆活動に入る。出世作「氷点」は、長寿番組「笑点」の命名に影響を与えるほど旋風を巻き起こし何度もドラマ化された。自ら病気のデパートと称しながら「こんな病気ばかりしているわたしは、もしかしたら神様にえこひいきされているのではないか」と病気を悲観的にとらえず、絶望を見つめた先で出会った神の愛によって多くの作品を生み出し、彼女の抱く希望は実に広く波及した。星野富弘さんは事故で首から下を動かせなくなって絶望の淵にいた時、聖書と三浦綾子の「塩狩峠」を読み希望を得たという。口で筆を加えて見事な絵画と詩を書き、今も人々に希望を与え続けている。「私の小説も随筆も、絶望を希望に変えることのできる神様を示したいからです。」(三浦綾子「愛すること生きること」より)われらの抱く希望は、絶望から希望を生み出す恵みの連鎖となっていく。(2022/5/29)

2022/5/29(日)礼拝講壇生花 by ISHIMARU