『つながって共に歩む』:ヨハネによる福音書15章5節

今月初頭に発生した携帯大手会社の大規模通信障害では3000万人以上が影響を受けた。先日はビジネス向け交流アプリ通信トラブルによって会議ができず、復旧を巡ってSNSでもつぶやきが相次いだ。「つながらない」という事態に接する際の労力や心の負担は相当に大きい。コロナとの共生の時代、集まる事の困難さに直面し、何かの手段で「つながる」重要性を認識したと同時に、「つながって」いなければ何も出来ないような場面にも会う。主イエスはご自身をぶどうの木、われらを枝にたとえられた。ぶどうの木は大木ではいが、下へと根を張って結実のため必要な養分を枝に配給する。枝に求められているのは「つながっている」事であって、何らかのトラブルやその原因について自力で解消に努める役割はない。われらは主イエスに「つながっている」者とされ、誰も孤立する事なく、神の愛を受ける者とされた。ゆえに「つながっていない」事に対する諦め、焦りや苛立ちから解消されている。既に恵みのつながりの中に生かされ、豊かな実を結ぶ事が約束されているのだ。同じく枝としてつながっている他者と互いに連帯し、厳しい現実を前にしても主の愛のもとで、共に望みを抱いて歩む者とされている。(2022.7.24)

2022/7/24(日)礼拝講壇生花 by ISHIMARU