『何を信じればよいのか』ヨハネによる福音書14章1—3節

真実と虚偽が混在する情報網。昨今の世論は二極化の傾向にあるように思う。SNS等、自分が見聞きしたい情報だけを求め、何をフォローするかによって入手情報は偏向する。気付かぬ間に思考も偏ってしまっていないか?心苛立ち、穏やかでいられなくなる時は自らに問うてみたい。主イエスは言う。「あなたがたは心を騒がせるな。神を信じ、そして、わたしをも信じなさい」(ヨハネ14:1) 受け入れ難い出来事、認めたくない事実が目前に迫って心揺さぶられる時、不安は膨らみ警戒心が強まって自然体が崩れ、ありのままでいられなくなる。この言葉は葬儀でも朗読されるが、主イエスは死という避けられない別離の悲しみの場、平静を保つことが最も困難な時でさえ、心騒ぐ者が向かうべき居場所へと招く。望みが絶たれて動揺する時も己を取り戻す居場所が備えられているのだ。疑念が募るような由々しき世にあって人類は何を信じればよいか?あらゆる時代に、多様な民族に主イエスは道・真理・命として伝えられて来た。われらは「絶対」という根拠を持たない。それはただ神だけが有する。しかし、神を信じ、主イエスに信じるということは、換言すれば絶対的な希望を抱いて生きることに等しいのである。「主を信じる者は、決して失望させられない(ローマ10:10)。そして「希望」はわれらを欺かない。 (2022/11/6)

2022/11/6(日)礼拝講壇生花 by YOSHIKO