天候が周期的に変動するように世の中も変わる。平和な時代がいつまで続くだろう?と将来に懸念を募らせるような雲行きのあやしさ、不安の煽りを受けると落ち着くことが難しい。聖書が記され読まれた1世紀後半から3世紀初頭は、平穏無事ではなく「落ち着いていられない」混乱と迫害の時代を繰り返した。そのような中で信徒は常に「祈り」に招かれた。良い日にも、最悪と思えるような時も、われらが心を向けるべきところは主イエス・キリストの信仰、希望、愛である。これらはいつまでも持続し、変わることがない(Ⅰコリ13:13)。人生の暴風雨、季節はずれの異常気象のような出来事に翻弄されようとも、神は常にわれらと共におられる。祈りは、共におられる神を信じて心にあるままを打ち明け、対話することである。そこでは取り繕うことも、恐れる必要もなく、いつもそのままで受け止められている自分に気付かされる。祈りを通してのみ、対立や争いのない落ち着きが与えられ、十分な恵みと平安のうちに今なすべき物事に専心できるのである。「願いと祈りと執りなしと感謝とをすべての人のためにささげなさい。王たちやすべての高官たちのためにもささげなさい。わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活をするためです」(Ⅰテモテ2:1-3) 2023.4.30(日)
2023.4.30(日)礼拝講壇生花 by YOSHIKO