わたしの咽喉が痛い時、あの子の咽喉も痛み、わたしが夜咳をする時、あの子も眼をさまして咳をする。わたしがママから叱られて泣く時、あの子もわたしと一緒に泣いてくれる。夕陽にうつるわたしの影法師のように、あの子はいつもわたしと一緒だ」(遠藤周作「聖書の中の女性たち」)11歳で死なねばならなかったこの少女にとって、影法師のように一緒に痛み、咳をし、泣いてくれる「あの子」。それはキリストだったという。辛い病床でひとりぼっちに思えた少女にとって「あの子」の存在は唯一の慰めだったに違いない。傷を持つ人の傍に佇み、その人「そのまま」を受け入れてくれる存在。イエス・キリストは、様々な思いに苦しみ悩む人々、悲しむ者の側におられた。このお方は傷を持つ人を孤独にさせずに寄り添い、「共にいる」ことによって神の愛を示すお方であった。主イエスは、本質的にご自身とまったく変わらないお方、聖霊を与える約束をされた。このお方は真理の霊としてわれらをキリストに導き、慰め主として今も共におられる。(2024.3.17)