「どこにいたの?少年イエス捜索願」:ルカによる福音書2章39−52節

イエスが12才となった時の出来事。過越祭からの帰省中、わが子とはぐれたことに気付いた両親は、必死に探し回り、ついに神殿にいるイエスを見つける。彼は神殿を「自分の父の家」とみなしていた。人は誰もが自分の居場所を必要とする。子どもの時は、実家にいることで親の保護を受け、そこで必要なものが与えられ、育っていく。大人になるにつれ、居場所が家に限定されず、誰かとの関係性のなかに自分の役割や働きを見出していく。自分を最大限に生かせる場所に身を置き、そこに使命を見出す時、人は真の意味で成人する。ユダヤでは13才で成人になるという。12才での出来事以降、少年イエスが成人すると、彼は公生涯に入る時まで親に従順する場所におられた。そして33才の「過越祭」以降、彼は神殿本来のあり方を熱情的に示し、「わたしの家は祈りの家と唱えられるべき」と語られ、十字架で命をささげられた。主イエスは今、われらの内を神殿としてお住まいくださる。神と人との関係性の中にこそ真の居場所がある。「祈り」のうちにいつも、主は共におられる。そこにわれらの永遠の居場所もあるのだ。(2024.6.16)