『聖霊に導かれて』ルカによる福音書2章22−38節

「聖霊」と訳されている言葉は、ヘブライ語では「ルアハ」、ギリシア語では「プネウマ」で双方「風・息」という意味を含む。風は目には見えないが吹く方向は解る。聖霊に導かれてシメオンが向かった先には救い主との出会いが待っていた。彼はそこで本望を遂げることになった。誰でも思い残すことなく人生を歩みたいと願うが、聖霊はわれらを向かうべき道へと導かれる。高齢となった84歳のアンナは昼も夜も神に仕えていた。仕えるとは、神を礼拝することである。そこでは祈りがあり、賛美があり、感謝がある。体力がなくとも祈りは可能である。聖霊は祈りへと導き、救い主イエスとわれらを引き合わせ、尽きることのない喜びをもたらしていく。聖霊の風が吹いて教会は誕生した。この箇所は教会の原型である。マリアとヨセフ、二人の高齢者、多様な背景を持つ者たちが聖霊の導きによってキリストのもとに集められている。われらも教会で主イエスと出会い、このお方を知り、神が望まれる道へと遣わされていく。その方角には神が出会わせたい人との出会い、聞くべき声、語るべき言葉がある。自分の力ではなく、神の愛という息吹に身を委ねて歩もう。(2024.6.9)