『平穏に生きる』ルカによる福音書6章1−5節

深まる秋、杜の都仙台では草木が紅葉し、色づくグラデーションの光景に思わず見惚れて足が止まる。芸術の秋、食欲の秋というが、この時期に堪能できる自然の恩恵に感謝しながら、何事もなく平穏な日常を過ごせることの有り難みを想う。季節も物事も変化に富み、世の中は目まぐるしく移り変わってゆく。何気ない誰かの言動によって心が穏やかでいられなくなったり、突然の事故や病を煩うと日常は一変する。落ち着こうとしても、なぜかコーヒーカップを持つ手が震え、動揺を抑えられない時、そばにいて平穏を取り戻す根拠を見出せるならどんなに心強いことだろう。よく発達した台風の中心には、台風の目と呼ばれる静寂な区域が生じている。暴風域にあってもその活動が中断される平穏な地帯が存在する。「安息日」は、「休み」「中断」を意味する動詞から派生した。主イエスは「安息日の主」として、われらが制御できない心の激しい荒波をも中断させて凪にし、落ち着きの場所を備えられる。詩編23編には、神と人間が羊飼いと羊に譬えられている。「主は羊飼い。・・わたしを青草の野に伏させ・・・正しい道に導き、魂を生き返らせてくださる。死の陰の谷を行く時も災いを恐れない・・・」主イエスは良い羊飼いとしてわれらと共におられる。荒れ狂う嵐のような試練の波におびえるような日にも安息の場に導き、たとえ揺らいでいてもしっかりとお支えくださる。われらはすべての恵みを備えて養われるこのお方に信頼し、平穏を生きる道にきょうも招かれている。(2024/11/3)