
「笛吹けども踊らず」という慣用句があるが出典は「聖書」である。現代でいうなら、SNSでどんなによい情報を発信していてもフォローされない状態だ。最近はあらゆる番組や企業、お店や個人も「フォーロー」を求めてアピールしている。「フォロー」という言葉は、元来「ついていく」こと「後を追う」、という意味だが、支持すること、見守ること、支援を含む。イエスの時代、長年待ち望まれていたメシアが到来しているのに、人々はイエスをメシアと認めず、フォローしなかった。しかしルカによる福音書を読んでいくと、フォロワーとなっている側の存在に気付かされる。愛する一人息子を亡くした母親と出会い、断腸の思いで寄り添われるイエス。社会的に弱くされ、差別され、人権を奪われ、除け者にされていた人々、その人たちが葬式のように悲しい歌を歌っていてもだれも見向きもしない。声をあげてもだれも振り向いてくれない。そんな人たちが吹いている笛の音を、イエスが真っ先に聞いてそのあとを追い、真っ先にフォロワーとなっているのである。それは同時に、今を生きるわれらの、言葉にならないうめきの笛をイエスが聴いて、苦しみ孤独のなかにある者に寄り添い、共鳴されるだけではなく、確かな慰めと生きる希望と勇気を与えて共に歩まれるキリストの姿を伝えている。イエスはあなたの真のフォロワーだ。(2025.1.19)