『だれもが居場所を見つける教会〜包摂的な共同体』ルカによる福音書8章1-3節

対話型生成AIが作成したジョーク。題「SNSと承認欲求」人間:「最近SNSで全然「いいね」もらえなくて、居場所がない気がする…」AI:「それ、現実世界に居場所を作るチャンスじゃない?」確かにわれらの居場所はリアルなこの世界であるが、現代社会では学校や職場、家庭において「自分の居場所がない」と孤独や疎外感を抱く人が少なくない。ルカによる福音書8章1-3節には初代教会において重要な役割をもった12名の使徒をはじめ、当時は社会的な居場所を失っていた女性たちの名が記されている。それは主イエスの宣教が、包摂的な共同体として当時の社会的な常識や文化的背景、宗教的な境界を超えて行われたことを示している。五千円札の顔となった津田梅子は米国に留学中、日本で禁教令が撤廃された年に洗礼(バプテスマ)を受けた。帰国後は伊藤博文邸の家庭教師となり、華族女学校の教授に就任する。地位も収入も安泰な梅子であったが彼女はその居場所に違和感を覚えていた。当時の女子教育が文字通り「家」を居場所とする「嫁」入り道具の教養でしかなかったからだ。梅子は当時の社会常識にとらわれることなく、女性たちの可能性と活躍の場所を広げるための学校を創設し(現:津田塾大学)、多岐にわたる分野で社会貢献をする女性たちを世に送り出した。主イエス・キリストは、まさに性別や身分や職業、過去の経歴によって人をかたより見るのではなく、だれもが自らなすべき使命、居場所を見出す道へと導かれ、出会う人の存在を排斥するのではなく、すべて包んで行かれた。教会は包摂的な共同体として世に存在する。(2025.2.2)