
五巡祭(ペンテコステ)は元来、モーセがシナイ山にて神の言葉(十戒)を授かった記念日として祝われたようだ。主イエスの復活から50日目のペンテコステの日。聖霊が降り、集まっていた弟子たちは異なる言語で話し始めた。すると祭りに来ていた多様な言語を話す人たちは、皆それぞれの故郷の言葉で「神の偉大なわざ」を聞いたのであった。「聖書」は、神の言葉としてあらゆる言語に翻訳され続けている。旧新約聖書は756の言語、聖書物語や分冊を含め、手話言語も含めると3756言語に達した。(世界ウィクリフ同盟2024.9)神の偉大なわざは今も世界中の多様な人々にそれぞれの国、故郷の言葉で届けられているのだ。かつて高みを目指したバベルの塔の建設は頓挫し、互いに言葉が通じなくなった。ペンテコステの聖霊は、高い所でなく低き所に降った。強さではなく、無力で弱さに打ちひしがれた人々の上に神の愛と恵みが注がれた。そうして神に呼び集められた者たちをひとつに結ぶ教会が誕生したのだ。教会は強さで通じ合うのではなく、むしろ弱さで連帯する。川は低いところに流れて行く。どの川も争うことなく、低みに向かい大海に通じてひとつにされる。われらも多様な背景、異なる個性を持っているがそれぞれがへりくだって低みに向かう時、偉大な神のわざを証しする恵みの通路となるのだ。そこではあらゆる人々と通じ合う道となる。「あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」(ガラテヤ3:28)2025.6.8(日)