『最も偉い者』:ルカによる福音書9章46−48節

だれが最も大いなる者かと論争する弟子たち。人は社会的に他者より優位に立ちたいという欲求があり、それは自己防衛や生存本能でもある。自然界には弱肉強食という摂理があるが、実際は必ずしも強者や大きいものが生き延びるわけではないようだ。なぜなら大きな恐竜もマンモスもすでにこの地上から絶滅しており、巨大な帝国も強大な権力者も、地上から姿を消している。主イエスはご自身の傍に小さな子どもを呼び寄せ、弟子たちに「この子どもを受け入れる者はわたしを受け入れる者である」と言われる。小さな子どもは、予想外の動きをすることがあるので目が離せない。時に親や大人の都合や予定を妨げる天才で、小さな子どもを受け入れるには変化に順応しなければならない。強者や大いなる者は支配、序列の優劣を競いがちで変化を好まない傾向があるが、小さな者はその土俵に乗らない自由があり、変化に対する柔軟さが成長となって未来への希望を繋ぐ。人生はある意味変化の連続である。しかし予測不能な出来事や出会い、経験もすべて人生の伏線に過ぎず、絶えざる変化は大いなる恵みの人生としてすべて回収されることを信じたい。最も偉い者は、他人より優れている自分の力や強みを誇示するのでなく、目の前にある困難なこと、受け入れがたい変化を受容していく態度にこそある。子どもを受け入れるように、自分の計画や考えで主イエスに従うのではなく、柔軟に変化を恐れず神のご支配を受け入れる者が神の偉大な御わざを証する恵みの通路を開く。(2025.6.29)