
「コンコン」と礼拝堂の窓ガラスを叩く音。気になって見ると窓越しにある木の枝から体当たりするヒヨドリであった。どうやら縄張り意識から、ガラスに映った自分を「敵」と勘違いしていたようだ。何度もアタックする姿に小鳥の覚悟を見るようだ。ルカ9章の最後は、イエスに従いたいという志願者たちに厳しい「覚悟」を問う場面だ。イエスに従うことは「自分」をあきらめる覚悟と重なる。自分をあきらめるというのは、自分の力ではなく神の力に信頼するということである。ペトロをはじめ弟子たちは命をかけてイエスに従う覚悟があったが、いざ自分の身の安全が脅かされるとイエスを否定し、見捨ててしまった。人間の覚悟は揺らぎやすく、肝心な時に吹き飛ばされてしまう事がある。われらが神に従うことができるのは、われらの覚悟によるのではなく、神の覚悟があるからだ。神は眠ることもまどろむことなくわれらを見守る覚悟がある。あなたが老いて白髪になろうとも見捨てず背負う覚悟がある。独り子を世に与えるほど愛する覚悟がある。
「覚悟はあるか」を問われる時、われらはこう祈ろう。「主よ、私には完全な覚悟はありません。でも、あなたには、私を愛し抜く覚悟があると信じます。その覚悟に私を委ねます。どうか私を導いてください」と(2025.7.20(日)