
東京・巣鴨で起きた子ども置き去り事件(1988年)を題材にした映画「だれも知らない」(是枝裕和監督)では、戸籍もなく社会から認知されない子どもたちが懸命に生き延びようとする過酷な日常が描かれる。自分の存在を認められぬ痛み。戸籍に名が記されないことは、社会から消されるに等しい。だが主イエスは、一羽のすずめや野の花でさえも御心に止め、その儚く小さな存在をも顧みる神を示された。それは人がこの世でどんなに小さく見える存在であっても、神の目からはかけがえのない命として一人ひとりを忘れずに覚え、天に名が刻まれているという喜びをもたらす。フランスの物理学者でキリスト教思想家のF.パスカルは「歓喜、歓喜、歓喜の涙。我々は理性だけではなく、心によって真実を知る。アブラハム・イサク・ヤコブの神、哲学者の神にあらず」(パンセより)と神を知る喜びを書き残し、終生衣服に縫い付けていたという。この世ではしばしば名誉や称賛に喜びを見出すが、それは儚い。主イエスの言葉は、真の幸いは天に属することにあると示す。世の孤独と悲しみを越えて、朽ちることのない喜び、永遠の居場所へとわれらを招く。(2025.8.31)